2009年06月16日

ケミカルメディエーター遊離抑制作用

ヒスタミンなどのケミカルメディエーターが肥満細胞から出てこないようにする作用である。こちらは、一般に数日以上たたないと充分な効果が出てこない。そのため、この作用を期待するには、予防的に発症前から薬を用いるとよい(これは発症後に用いても無駄ということではない)。

治療の実際 [編集]
抗ヒスタミン薬(第一世代抗ヒスタミン薬)の投与
飲んで数十分で強い効果が出てくる第一世代抗ヒスタミン薬は、病院で処方されることもあるが、薬局・薬店で購入できる総合鼻炎薬の主剤となっている。こうした鼻炎薬には、効果を増強するため交感神経興奮剤(塩酸プソイドエフェドリン、塩酸フェニレフリン等)や抗コリン剤(ベラドンナ総アルカロイド、ダツラエキス等)といった薬がブレンドされているが、皮膚のかゆみなどの飲み薬には、ほとんど第一世代抗ヒスタミン薬だけというものもある。鼻炎薬では効果が強すぎる場合(口の渇きなどの副作用が強い場合)、かゆみの薬を試してみるのもひとつの方法である。
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一般に下記の第二世代抗ヒスタミン薬よりも眠気などの副作用が強く出やすいため、特に乗り物の運転や機械操作などには要注意である。同じ成分は風邪薬にも含まれているため、鼻炎薬の持ち合わせがないときなど、緊急避難的に風邪薬を服用して症状を抑えることも可能である。

第一世代抗ヒスタミン薬(内服)??マレイン酸クロルフェニラミン、d-マレイン酸クロルフェニラミン、塩酸ジフェンヒドラミン、マレイン酸カルビノキサミン(シベロン)、フマル酸クレマスチン等
抗アレルギー薬(第二世代抗ヒスタミン薬)の投与
数日から2週間程度服用して充分な効果が出てくる第二世代抗ヒスタミン薬(これを抗アレルギー薬と呼ぶことが多い)やケミカルメディエーター遊離抑制薬については、医師の処方箋が必要であり、メキタジンを除き日本では市販されていない(2007年現在、メキタジンに続いて塩酸アゼラスチン、フマル酸ケトチフェンがスイッチOTC内服薬として市販されるようになっている。後者は点鼻薬としても市販されている)。多くの第二世代抗ヒスタミン薬は、ケミカルメディエーター遊離抑制作用などを併せ持っており、鼻詰まりにも効果的な抗ロイコトリエン作用があるものもある。現在、花粉症に対して病院で処方される内服薬の多くは第二世代抗ヒスタミン薬である。予防薬として処方されるものも、これが多い。

第二世代は第一世代より眠気や口の渇きなどの副作用が少なくなっているが、こうした副作用の出方は人によってかなり異なる。なお、第一世代、第二世代という分類は欧米でおこったというが、第二世代抗ヒスタミン薬が市販されている海外であっても、少なくとも一般薬店レベルでは通じないといわれる。鼻炎やアレルギー、かゆみの治療に用いられるものは全て抗ヒスタミン(アンチヒスタミン)薬と呼ばれているためである。

第二世代抗ヒスタミン薬(内服)??フマル酸ケトチフェン、塩酸アゼラスチン、オキサトミド、メキタジン、フマル酸エメダスチン、塩酸エピナスチン、エバスチン、塩酸セチリジン、ベシル酸ベポタスチン、塩酸フェキソフェナジン、塩酸オロパタジン、ロラタジン等
その他のケミカルメディエーター遊離抑制薬の投与
ケミカルメディエーター遊離抑制薬は点鼻薬・点眼薬として処方されることもある(数は少ないながら市販薬にもある)。

ケミカルメディエーター遊離抑制薬(内服)??トラニラスト、ペミロラストカリウム等
ケミカルメディエーター遊離抑制薬(点鼻・点眼)??クロモグリグ酸ナトリウム等

ステロイド薬 [編集]

概要 [編集]
ステロイド薬は、遊離抑制作用や受容体拮抗作用などといった限られた作用ではなく、アレルギーのメカニズムのほとんどを抑制する。抗炎症作用も強く、多くはこの作用を期待して用いられる。しかし、強力にアレルギーを抑えるということは、免疫そのものも減弱させるということでもあり、不必要な長期投与など不適切な使用によって他の感染症を招いたり、体内のホルモンバランスが崩れることにより重い副作用や後遺症が現れることもある。その他の副作用も多く知られている。リスク&ベネフィットをよく考慮して注意深く使用すべきである。

2009年05月30日

江戸時代の武家官位

徳川家康が江戸幕府を開くと、豊臣政権時代の苦い経験から官位を武士の統制の手段として利用しつつもその制度改革に乗り出した。まず、禁中並公家諸法度により武家官位を員外官(いんがいのかん)とすることによって、公家官位と切り離した。これによって武士の官位保有が公家の昇進の妨げになる事態を防止した。少将、中将、中納言、大納言などの官職を権官として任じたことも、そのあらわれである。また、武家の官位の任命者は事実上将軍とし、大名家や旗本が朝廷から直接昇進推挙を受けた場合でも、将軍の許可を受けねばならなかった。

大名に与える官位は、羽林家に倣い、位階は

従五位下(諸大夫・五位) - 一般大名
従四位下(四品・しほん)
官職は
調査 暮らし リフレ 探偵 老人 家具 資格 ギフト 予備校 特産物 脂肪吸引 旅館 豊胸 ビジネス 賃貸 介護サービス 警備 精神医学 自動車 インポ 古着 専門学校 スポット セミナー 交通地図 フレグランス SEM促進 プチ整形 経営 乗り物 インポ 離婚 損害保険 精神医学 寝具 インポ 贈答品 プリスクール 水族館 公園 観光 脂肪吸引 エージェント 趣味 分譲 家具 インポ 健康食品 抜け毛 通信販売


侍従
国持大名(黒田、鍋島など)は従四位下侍従
南部・柳沢と準国主(丹羽、立花など)は初め従四位下または従五位下のち従四位下侍従に昇進
織田も江戸初期は準国主に次ぐ格式(「明和事件」「宇陀崩れ」で家格降下)
譜代の一部(榊原など)は従五位下のち侍従に昇進
譜代並・願い譜代の一部(真田など)は従五位下のち従四位下に昇進
権少将 - 国持大名の一部、親藩(津山、福井など)、親藩並(鳥取池田など)、連枝(高須、西条など)、井伊
権中将 - 保科(会津松平)、島津、伊達
参議(宰相) - 前田、家門(館林、甲府)
権中納言(黄門) - 水戸徳川
権大納言(亜相) - 尾張徳川、紀州徳川
とした。これらの武家官位について、伺候席席次を官位の先任順としたり、一部の伺候席を四品以上の席とするなどして、格差をつける。その上で、大名家により初官や昇進の早さを微妙に変えるなどして家格の差を生ぜしめた。

2009年04月27日

イギリスとフランスは9月3日

9月1日にポーランドが侵略されたことを受けてイギリスとフランスは9月3日にドイツに宣戦布告したが、これはドイツのポーランド侵攻に対して直接兵を送ることをせず、また、ドイツ西部国境を犯すこともせず、人はこれをまやかし戦争と呼んだ。ポーランド人の多くは自分たちが西側同盟諸国に裏切られたのだと感じた。一方ポーランドは同盟諸国に対する自らの義務事項を遵守し国家としては決して降伏せず、フランス(のちにイギリス)に亡命政府(ポーランド亡命政府)を樹立した。このポーランド亡命政府は、1939年以前の政府の法的な継承者で、ポーランドに残された人々による民間の、あるいは軍事的な地下組織(ポーランド秘密国家)と連携した。ドイツ占領下におけるポーランド人は、第二次世界大戦におけるすべてのドイツ占領地域のなかで最も強力で、最もよく組織された抵抗勢力として戦いつづけた。つまり、アメリカとソ連がドイツに対する戦争に加わるまで、ポーランドは自国領が占領されながらも連合国のなかでは3番目に大きな軍事力を保持していたことになる。

ポーランド侵攻は東ヨーロッパにドイツ民族の「生存圏」を確保するというヒトラーの東方植民地化計画 (Generalplan Ost) の最初のステップであった。当時はまだ不完全であったにせよ電撃戦の原型となった戦術は住宅地を破壊し、まもなく民間人と戦闘員の区別がつかなくなった。続いて行われたポーランド占領は第二次世界大戦における最も残忍な出来事となった。

ポーランド総督府統治地域以外のドイツ占領地域は全てドイツ本土に編入(ポーランド領域にはヴァルテラント帝国大管区、ダンチヒ‐西プロイセン帝国大管区の二つの帝国大管区とオーバーシュレジエン大管区が新設された。一部は東プロイセン大管区に編入され、、残部はポーランド総督府が統治した。)され、それらの地域に住んでいたポーランド人の多数が着の身着のまま総督府領へと追放された。一方、ドイツとソ連で交わされた住民交換の約束に従って、バルト海沿岸地方(バルト三国)、ガリツィア、ベッサラビアに住んでいたドイツ人はこれらの地域から立ち退きを強制された。約400,000人のドイツ人がドイツ領に編入されたポーランドに移住させられた。対照的に、戦後はポツダム協定に従って、オーデル・ナイセ線より東に住んでいたドイツ人は連合国によって新しく決められたドイツ領に追放された。ドイツ人はポーランド領に残ることも選択できたが、その場合はポーランドの共産主義政府によって全ての私有財産を没収され、改めてポーランド住民としての承認を受けなければならなかった。戦前にポーランド市民だった約2,700,000人のドイツ人 (Volksdeutsche) はドイツ占領下では「ドイツ民族度」に従って4つのカテゴリーに分けられ、「民族リスト」 (Volksliste) に記載されて取り扱われたが、戦後、この「ドイツ系ポーランド人」のうちポーランドに残った者はポーランドで国家反逆罪に問われ裁判を受けなければならなかった。

ドイツによるポーランド占領中にポーランド人は抵抗組織で活動するとかユダヤ人をかくまうとかいった反ドイツ的行為のほか、許可なく家畜を飼うなどの微罪でも即座に死刑(ほとんどの場合発覚次第その場で銃殺)となり、最終的に600万人のポーランド人(ポーランド全人口の20%)が殺害され、そのうち300万人はアウシュヴィッツなどの絶滅収容所で大量虐殺されたといわれている。

また、1940年の夏にAB行動が行われた。これは前年の1939年8月から10月に行われたタンネンベルク作戦と同じようにして、ドイツ占領下のポーランドでポーランド人の社会的指導層や知識層に属する人々を殺害する作戦であり、結果的にポーランド民族を文化的に無力化することを最終目標とした。これによって約30,000人が逮捕され、そのうちほぼ7,000人が即座に殺害され、残りは各地の強制収容所に送られた。

タンネンベルク作戦もAB行動も、ドイツ新領土からのポーランド人追放とともに、ドイツ東方における民族浄化計画である東方植民地化計画の一環でポーランド民族に対して行われた事件の例である。

一方、1939年から1941年にかけてのソ連によるポーランド占領でも、180万人ものポーランド市民が殺害されるか国外追放された。NKVDによって共産主義体制にとって危険分子であると判断された人々はすべて、ソヴィエト化教育を受けるか、シベリアなどに移住させられるか、労働収容所(グラーク)に収監されるか、または殺害の対象になった。ナチス同様、ソ連側も「反逆分子」に対して情け容赦しなかった。ソ連の支配に反抗するとその人物も含めて家族全員がNKVDに逮捕された。国内で大粛清を推し進めたスターリンはかつてのポーランド・ソビエト戦争の敗北でポーランドへかねてから雪辱を果たす機会を狙っていた。カティンの森事件はポーランド軍将校が虐殺された事件の一つである。ソ連の残虐行為は1944年にポーランドが赤軍によって「解放」された後、再び始まった。戦争の間ロンドン亡命政府の指揮下で抵抗活動を続けてきた国内軍(Armia Krajowa、略称AK)の兵士に対する迫害や、国内軍将校の処刑がソ連によって行われた(モスクワにおける「16人裁判」)。

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2009年04月10日

シギスヴァルト・クイケン

シギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken, 1944年2月16日 - )はベルギーの古楽器演奏家。バロック・ヴァイオリン奏者・バロック・ヴィオラ奏者・指揮者として活躍している。ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ならびにバロック・チェロ奏者の兄ヴィーラントや、フラウト・トラヴェルソ奏者ならびにリコーダー奏者の弟バルトルトとともに、「クイケン三兄弟」のひとりとして知られ、クイケン兄弟はいずれも、チェンバロ奏者グスタフ・レオンハルトとの精力的な活動でも名高い。

1964年から1972年までブリュッセルのアラリウス・アンサンブルの一員だったが、1972年にラ・プティット・バンドを結成する。1971年よりデン・ハーグ王立音楽院およびブリュッセル王立音楽院にてバロック・ヴァイオリンを指導。1986年にクイケン弦楽四重奏団を結成。近年はバロック音楽や古典派音楽のみならず、ロマン派音楽や印象主義音楽にも裾野を広げ、指揮者や室内楽奏者として演奏活動や録音を続けている。

2007年2月2日にルーヴェン・カトリック大学より名誉博士号を授与された。

ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

2009年03月27日

オビツボディ

オビツボディとは、オビツ製作所が製造、販売を行っている人形素体である。
オビツ製作所が独自で開発・製造している素体のことを「オビツボディ」と呼ぶ。素体サイズの豊富さとメンテナンスの容易さが特徴である。ボークスとほぼ同時期に1/6の素体の販売を開始しており、他社のブランドに提供している。
オビツボディはかつてドールの素体として使われていたジェニー同様多く使われている(オビツボディ登場以前はジェニードールが素体として使われていた)。基本的に素体を他社にOEM供給をしているが、自社ブランドのドールも販売している。「アゾンインターナショナル」の直売店や自社のホームページなどで素体パーツの単品売りをしているため、万が一破損した場合でも容易に交換することができる。
オビツボディはデッサン用の素体として「デリータ・ドール」が発売されているため、画材店でも見かけることが多い。

特徴 [編集]

1/6スケール素体 [編集]
素体は1/6スケール相当のものが4種類(21、23、25、27cm)があり、25cmを除くそれぞれに、男性・女性用の素体が用意されている。
27cm女性素体は胸?腹部がソフトタイプのものとABS製のノーマルタイプが用意されており、23cm、25cm、27cm女性素体には胸?腰部までをソフトタイプにしたものも展開(25cmはこの仕様のみ)されており、各ソフトタイプの胸部はS・M・Lサイズから選ぶ事ができる。
表情の付いた手が数種類(開き手・持ち手・握り手)同梱しており、素体だけで様々な表情をつけることができる。
オプションのヘッドも豊富で、植毛ヘッドやドールアイを仕込む事ができる入れ目用ヘッドなどが販売されている。ヘッドアダプタが数種類付属し、規格が異なるヘッドにも対応する。
足の裏にマグネットが内蔵されている素体も発売されており、スチールの台座の上に立たせることができる。
肌の色は「ナチュラル」とそれよりも白い「ホワイティ」の2種類(オビツ60なども同様)。
(ナチュラルは以前は赤みが強い色だったが現在販売されている製品は薄めの肌色に変更されている)

オビツ60 [編集]
1/3スケール相当の素体として、「オビツ60」がある。これは男性ボディこそ発売されていないものの、男性用の胸部パーツが発売されており、交換することで男性ボディとして使用することができる。女性胸部パーツもS・M・Lサイズが用意されており、パーツ売りもされている。
ドルフィー・ドリームのタイプ?素体と同様ABS樹脂とポリアセタール(POM)を組み合わせた可動フレームにポリ塩化ビニル(PVC)製の外皮を被せた仕様であり、肘・膝が二重関節になっているタイプと球体関節のタイプがある。腰も通常タイプとソフトタイプが存在する(球体関節タイプはソフトタイプのみ)。また、足の裏にマグネットが内蔵しており、スチール製の台座に支柱なしで立つことができる(ただし靴を履かせると磁力が弱くなり、立たせることができなくなる。それを補うためにマグネットが内蔵されている靴が発売されている)。
オビツ60にはオプションハンドは付属しないが、別売りのハンドを使うことで「握り手」「持ち手」などの表現ができる。ヘッドはドルフィー・ドリーム同様多くの種類があり、ウイッグの種類も多い。また、ドールアイも自社製のものが販売されており、それを固定するためのオリジナルアイホルダーもある。
オビツ60の欠点としてウイッグや服からの色移りが挙げられる。これは外皮にPVCを使っているためで、長時間着たままでいるとウイッグや布の色素がPVCに染みこみ、後が残ってしまう。内部まで染みこんでいるため研磨での除去は不可能であり、パーツごとの交換が必要になる。色移りの対処法は頻繁に着せ替えをすることや、色移りする箇所をビニールなどで包む事で防ぐ事ができる。また、旧ボディでは首の可動が狭く、保持が弱いという欠点があったが、改良型の首ジョイントパーツでは首の保持や可動が見直されている。

オビツ55、50 [編集]
2007年末に男性用素体として「オビツ55」が発売された。この素体はオビツ60のボディバランスや可動範囲などを見直し、より人間らしいプロポーションを追及している。女性用素体である「オビツ50」も2009年3月に発売を開始、それに先行して、やまとよりオビツ50を基にした素体「vmf50」がホームページと直営店限定で販売している。
オビツ60やドルフィー・ドリームの場合、服を着せた後のバランスを重点においていたのに対し、オビツ55・50は腕や脚の長さを調節し、素体の状態でも人間らしいバランスに仕上げている。オビツ55は基本的にオビツ60と同じパーツ構成(ただし首関節が新タイプに変更され、可動範囲が拡大している)だが、オビツ50は関節も見直されており、ラインの崩れを最小限にした肘や膝の二重関節や肩関節が前後左右に可動するなど、より自然なポーシングができるようになっている。
オビツ60を含む60cmドールのヘッドを流用する事が可能で、それぞれの内部骨格の一部を変更する事もできる。55・50共にパーツ単位での発売も予定されている。

OBITSU BODY THE DOG [編集]
オビツが新たに開発した1/6サイズの犬型可動素体。これまで犬型を含む動物の可動素体は数えるほどしかなく、同スケールの人形に絡ませるシーンを作るには固定ポーズのフィギュアを使うか、自作するしか方法がなかった。
この犬型素体は、ABSの骨格にPOMの関節が組み込まれており、自由に分解・組み換えができるようになっている。また、尾と頭部を組み替えて、別の種類の犬を作ることも可能である。2009年3月現在、色はブラックとホワイト、クリアーの3種が発売されている。このほかに、蓄光バージョンも予定されている。素体にかぶせる外皮の発売も予定されているが、発売時期は未定。

オリジナルモデル [編集]
オビツボディは他社のキャラクタードールの素体としても販売しているが、自社オリジナルのドールも数種類販売している。それぞれ1/6(27cm)、60cm、50cmサイズのドールがあるが、生産数が限られており、販売を終了したモデルもある。
オビツ50素体発売に先行して、オビツ50オリジナルモデル「MIZUKI」の販売が開始され、ワンダーフェスティバル予約分の第1次・2次出荷分が発売された。その後に一般販売分が4月23日に発売したがその日のうちに締め切られ、5月12日~19日に受付生産という形で予約をとった(今後は予備分とキャンセル分を販売して生産を終了する予定)。
「MIZUKI」に続いて、オビツ50オリジナルモデル第2弾として「MIKADUKI」の予約が開始された。「MIKADUKI」はウェブサイト上の受付注文のみで会場での受付はされなかった。そのため、注文数が予想を大きく上回り、2008年12月発売の予定だったのが2月に延期された。

どんどん橋 バンケット ドラント カステラ セルフ ターン トーチカ ピアサポタ リーバス クロラール キッチ かほく ビジター スピカ 大地の景色 モンゴル 真昼の月日 ドス上位 オーバリ マグネ クロマト モンタント やんぐこ セレス カウハイド ハナショ たそがれ フカロッ ヒノキ ベット カリス マニキ こちんだ バイサイド ラフ アウト タイガー キュラ やまびこ ブーム 大冒険 スケット トランス ハーレム クライ ジンマカオ バック ロスマリン キレイ モアイ

2009年03月11日

チチェン・イッツァ

チチェン・イッツァ(スペイン語:Chichén Itzá)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。
ユカタン半島北部の低地にあり「後古典期マヤ」の遺跡。半島のつけ根の密林にあるティカルは「古典期マヤ」の遺跡。

カスティーヨ
マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3m四方、高さ24m(頂上の神殿部分は6m)。

通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」とも呼ばれる。大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されている。ピラミッドの最上段には真四角な神殿がある。

ピラミッドの階段は4面の91段を合計した364段に最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月365日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。

北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。
シンビジ 検索ゆに 日光街道 熱帯魚 パース サーチ秀月 サンバ しべつ ジギタリ ドロス 章姫 ひまわり 風の森 リミング フラメンコ オライタイ トロイ オスロ バルバ バハマ タイリン 透明人間 アルコ いとの キーワ ランチドポ ハイフ 未来の果実 テイステ 若菜摘 コリーナ マントル ぼうし チャレン いながき マナウス ブイシネマ ネイショ プロ うすき ブリュッセ リコソウ プレメイ ウォーム よりどころ 流星 メリー たくぼ ひない クロス

球戯場
腰でボールを打ち、球戯場の石の輪にボールを通すと得点になる。今で言うサッカーのような競技で試合が白熱するほど、雨が降り豊作になると信じられていた。勝った側が生贄になったとも、負けた側が生贄になったとも、言われている。
雨が降らない時に、生贄の人間が投げ込まれた池で、金銅の製品なども投げ入れられた。これに似たもので、人の心臓が捧げられた戦士の神殿がある。
太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何年もかけて肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。


2009年02月23日

オーストロアジア語族

オーストロアジア語族(-ごぞく)あるいはアウストロアジア語族は、東南アジアからインド東部・バングラデシュに散在する言語の語族である。南アジア語族と訳されることもあるが、地域名の南アジアとは異なる。このうちベトナム語、クメール語およびモン語は古くから記録があり現在でも多くの話者がいるが、その他は少数民族の言語である。ベトナム語(ベトナム)、クメール語(カンボジア)、サンタリ語(インド・ジャールカンド州)は公用語として用いられている。
ビーシ イズミル サイド トレハ シェブロ マイラー ホウオウ マドレーヌ マルチビ チャー ピナクル マックス エデン 恋のラジオ 桔梗ナビ 桜桃 セリ対策 テナント メンタル スペー パワー あぴお スタート ジョイ ナビゲ レバー支援 トルマン アポク オフライ フォートラン まっち レンゲ ブラウザー ビネガ ナイト テオプ ふぁんでる ヨットパ まぜり タイザー チケット サラシア 秋の夕暮れ ジンギ スタンス ロールフ えせん バック オイディ コスト

伝統的に東南アジアのモン・クメール語派とインドのムンダ語派に分類され、168 の言語(モン・クメール語派 147 とムンダ語派 21)が記録されている。しかしこの語派分類は確証のあるものではなく、モン・クメール語派はまとまりをもたないとする説もある。

源郷はわからないが、この地域の在来の言語であり、後に他の言語(シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族)が広がって分断されたと考えられている。それら新しく広がった言語にも影響を残しており、例えばネパール東部のシナ・チベット系言語にはオーストロアジア語族に由来する単語があり、サンスクリットやドラヴィダ語族にもムンダ語派が影響を与えているとされる。

全体に共通の特徴は少ない(共通基礎語彙に基づいてまとめられている)が、古くは接頭辞や接中辞が文法・派生機能を果たしたらしい。この点で類似しているオーストロネシア語族とともに、アウストリック超語族 (Austric superfamily) にまとめる説もある。

アンナン・ムオン語派
アンナン語群(ベトナム語群)
ベトナム語(ヴェトナム語)
チュット語
ムオン語群
ムオン語
トー語
ムンダ語派
北部語群
サンタル語(サンターリー語)
ムンダ語(ムンダーリー語)
ホー語
ブーミジ語
コルク語
コルワ語
アスル語
南部語群
ソーラ語(サオロ語)
中央語群
カリア語
ジュアング語
ビルホル語
ボンド語
ガダバ語
パレンガ語
モン・クメール語派
モン・クメール語群
モン語 (Mon)
クメール語
バナール語群
バナール語
スティエン語
ペアル語群
ペアル語(サムレ語)
サオチ語
ムノン語群
ムノン語(プノン語)
カム語群
カム語
チン語
ムラブリ語群
ムラブリ語
カトゥ語群
カトゥ語
クイ語
パラウン語群
パラウン語
ワ語
アスリ諸語
セマン語
セノイ語
カシ語群
カシ語(カーシー語)
ニコバル諸語
カール語
チョウラ語
テレッサ語
ショム・ペン語[[Category:]]

2009年02月06日

頭部穿孔(とうぶせんこう)

頭部穿孔(とうぶせんこう)またはトレパネーションとは、頭皮を切開して頭蓋骨に穴を開ける民間療法の一種とされる。頭蓋穿孔ともいう。

この施術に於いて、通常の脳外科手術や頭骨骨折等の外科手術(急性硬膜下血腫を参照されたし)と違う所は、特に治療を目的とした行為というよりも、神秘主義観に基く物であり、また頭骨に穴を開けた後に何等かの塞ぐ処置を行わずに頭皮を縫合する所にある。
ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま

古代ギリシアで近代医療の基礎を築いたヒポクラテスも、自身の著書中で触れたとされるこの行為だが、中世から近代のヨーロッパに於いては頭痛や精神病の治療と称してこれが行われた。ただ当時は明確な根拠があったわけではなく、頭骨内にある「良くない(霊的な)モノ」を外部に出すための穴とされた模様で、当時の鑿と槌で穴を開ける様子などの絵が残されている。

近年でも個人が自分自身や医師の助けを受けて行った事例が報告されており、被術者らによると「脳の圧力を下げ、気分を高揚させる」や「意識がより明瞭に成る」、「うつ病が軽減された」等とするレポートがあるものの、実際問題として脳外科医などの専門医からは否定的な幾つかの見解が出されている。以下にその見解を述べると

脳の圧力は特に代謝異常でない限り一定に保たれているため、頭骨に穴をあけても大きな変化は起きない。また代謝異常はそれぞれの症状に沿った治療が確立されている。
個人が不衛生な環境で穿孔した場合、脳が器具によって傷付いたり、細菌によって炎症を起こす危険が伴う。
穿孔部の組織が損傷を受け、頭骨の防御力が低下する他、僅か数ミリという頭皮によって「脳がほとんど剥き出しに近い状態」に置かれるため、他の事故によって重大な損傷を被りやすい。
といったものがある。なお「効果」に関しても、他人との違いを明確に意識できるなどといった、他の肉体改造を行った結果による高揚感と同種の物であると考えられている。

なお日本や欧米の多くの国では、頭蓋骨骨折や脳外科手術といった他の明確な治療に拠らない、危険なこれら施術は違法とされているが、一部にトレパネーションに効果ありとするピート・ハルヴォーソンによる国際トレパネーション唱道会などの主張があるため、これを請け負う医者もあるとされ、現代社会にも一定数の被術者が存在する。

インカ文明に対する誤解
インカ文明の集団墳墓では、しばしば頭骨に大きな穴の開いた物が発見されるため、古代インカ帝国では(神秘主義的な)頭部穿孔が流行していたとする者もある。中には「穴の開いている個所が同じ」であるとして精神外科(ロボトミー)の施術によるオーパーツだと主張する者すらいる。

なおインカ文明とは別となるプレ・インカやメソアメリカ(中南米)の民族文化としては頭蓋変形も見られるが、これはやや別の話である。
しかし実際には、当時の鉄の存在を知らなかった南アメリカでの戦争の様式が「石を投げあい、棍棒で打ち合う」というもので、特に棍棒に至っては、石を加工して作った打撃ハンマー(中央に穴の開いた星状の石が先端にはめ込まれている)で、頭に当たれば頭蓋骨骨折を起こす物だった。このため兵士や戦闘に巻き込まれた民衆達は、絶えず頭蓋骨骨折等の負傷を受ける危険に晒され、これによって頭骨骨折の治療技術が発達したと現代の考古学では考えられている。

頭骨が骨折する程に強い打撃を受けた場合、骨の下の硬膜下にあるクモ膜の血管が切れて血腫と呼ばれる血の塊ができる。これは急性硬膜下血腫と呼ばれ、早急に頭骨に穿孔して固まる前の血を排出させないと、脳を圧迫して意識を失い、最終的には死に至る。また早期治療が行われないと、予後が非常に悪い事もあるため、現代医療でもしばしば行われる治療であり、疑似科学や神秘主義的な頭部穿孔とは全く別の、現代医学と同様の理由に基く物である(むろん、頭部穿孔が治療法としては適切ではない傷病に、頭部穿孔が行われた事もあるだろうが、当時の医学的水準の問題である)。

当時のインカでは麻薬原料で知られるコカが栽培されており、その葉は滋養強壮や傷の麻酔に利用されていた。このため古代インカの脳外科医らは苦痛に患者が暴れる心配も無く、患者の頭部を切開、脳を傷付ける恐れのある頭骨の破片を取り除いて縫合する事が出来た。またインカ帝国は押並べて高山地帯の寒冷地に都市が集中していた事もあり、周辺の雑菌も比較的少なかったために、感染症を起こす率も低かったという。

これら頭蓋骨骨折治療を受けた患者は、その頭蓋骨の分析から、平均して数年から十数年程度は生き長らえていたという説もあり、当時の3?40代で高齢者という平均寿命も在って、まずまず天寿を全うしたといえよう。

このような理由により、前出の「オーパーツだ」とする主張は成り立たない。兵士同士の戦闘行為の最中における負傷なら、顔の前面から前頭部分に負傷が集中しやすい。これがたまたま現代のロボトミー手術と同じ個所に穴があるからといって、同じ個所から器具を挿入して、脳に何等かの処置を行ったとは限らない。別の個所に対しても、同じように施述した痕跡もみつかっている。なお当時の手術用具には、頭皮を切開したり頭骨を穿孔ないし切削するための器具は残るものの、脳に対して何等かの処置を施すための器具は発見されていないことも、考古学がロボトミー説に対して否定的な理由として挙げられる。

これを扱った作品
フィクション作品ではしばしば超能力など神秘的な力を獲得する手段として登場している。

漫画
ホムンクルス - 山本英夫作。神秘主義的視点から頭部穿孔を受けたホームレスの男が、「他人の深層心理が現実のようにイメージ化されて見える」という異常な世界に巻き込まれるサイコスリラー。なお、単行本にはトレパネーションが非常に危険な行為であり、絶対に真似しないようにとの旨が注意書きに記されている。
スプリガン インカの頭部穿孔は脳外科手術により超能力を覚醒させるものとして紹介されていた。
ジョジョの奇妙な冒険  石仮面から伸びる針が頭蓋骨を貫通し脳を押すことにより人間を吸血鬼に変化させる。

2009年01月22日

空母不要論は一応の終結

朝鮮戦争での実績から、空母は即時展開可能な航空基地として有効であると認識されるようになり、空母不要論は一応の終結を見ることとなった。しかし、依然としてジェット機運用には問題が多く、着艦速度が速くても正確に着艦させることができる誘導システムと、重い機体を十分に加速させることができるパワーのあるカタパルトが必要であった。また、従来の空母は甲板上から艦載機をすべて取り除かない限り着艦のやり直しがきかなかったため、これも改善する必要があった。

これらの問題は第二次大戦末期から考えられるようになり、大戦後から1950年代にかけてイギリスで蒸気カタパルト、ミラーランディングシステム、アングルド・デッキという現代空母の基礎となるものが開発され、空母の運用能力は大幅に向上した。

これらの技術を集大成して、1955年に戦略核攻撃任務航空機を搭載する超大型空母フォレスタル(6万トン)が完成した。その後アメリカ海軍はフォレスタル級の改善・就役を行いながら1968年までに8隻の通常推進型空母を建造した。

原子力空母の建造
艦船の原子力推進搭載第一号は1955年にアメリカで完成した原子力潜水艦ノーチラス号。通常推進に比べて原子力潜水艦の利点は下記の通り。

核燃料は1回補給すると少なくとも10年以上使えるため、航続距離が非常に大きくなる。通常動力型では大容量の燃料タンクが必要であったが、原子力推進艦ではその必要が無い。
機関運転に際し大気中の酸素を必要とせず、排気も無い。潜水艦としては潜航し続けたまま長期の航海が可能。
以上の2点は隠密裏に長期の行動を要求される潜水艦にとって非常に有利であるが、原子力化は航空母艦にとっても大きな利点がある。

燃料消費を気にせずに長期間の高速航行が可能。また蒸気発生量に余裕があるので蒸気カタパルトの連続使用にも支障が無い。
自艦の燃料タンクが必要なくなるのでその分航空機の燃料などを多く積載でき、補給までの継続戦闘期間が長く出来る。例えばキティホーク級では自艦用の燃料7,828トンと航空機用燃料5,882トンを積載しているが[8]、原子力推進では自艦用燃料約8,000トンの積載量を航空燃料などの他の用途に回すことが出来る。
主機関に空気を送る送風システムと排気を煙突まで送る煙路が必要なくなるので、艦内配置に余裕が出来る。更に通常推進艦では十分解決出来なかった煙突からの高温排気による気流の乱れ(着艦機にとって重要な問題)の問題が解消される。
マイナス面として、開発と建造・維持の費用が通常推進艦より高価であることが上げられる。
アメリカ海軍は上記利点を考慮し、1961年に就役させた3隻の空母のうち1隻を初の原子力空母(エンタープライズ)とした。また 同時に建造した原子力ミサイル巡洋艦ロング・ビーチ(15,111トン)、ベインブリッジ(7,982トン)と協同して航続力無限の原子力艦隊を作ろうとした。しかしエンタープライズは建造費があまりにも高くなったため、次に建造された空母2隻は一旦通常推進型に戻された。
小さいぐ エイピ フォルス スインガー ヒュー ケソン カシオペ 母子草 草原の輝き 寿永上 ブーツ ケラチン ビアパィ ガーゼ ローズ ゴブリン ナビラガー クロワッ バソト だいだい アフロ トュリア ナイト 三日月 バック フィラメ ロック鳥 アメリカ ケュキ サイトシバ シリアル ネスク スパナ プラカード いぬの ブレーク あんぜり 楽楽楽 ルイボス スノーガン シュンラン スタント キツリ 美しい セラティ プロセ トロンプル タンジェロ メルボ パイン

1964年から始まったベトナム戦争ではエンタープライズやほぼ同じ大きさの通常推進型のフォレスタル級やキティホーク級、より旧型で小さいエセックス級やミッドウェイ級など多数の空母が参戦し、その中で原子力空母のメリットが改めて確認された。その結果 1975年からエンタープライズを更に改良したニミッツ級量産型原子力空母の建造が始まり、現在10隻目が建造中である。

ニミッツの建造に合わせてカリフォルニア級(10,150トン、2隻)やバージニア級(11,000トン、4隻)の原子力ミサイル巡洋艦が建造されたが、この種の艦の建造は1980年完成のバージニア級の4番艦で終了し、その後建造された巡洋艦は全て通常推進のタイコンデロガ級(9,400トン、27隻)となった(原子力巡洋艦9隻は全て退役済み)。
これらの事実を総合すると、艦船の原子力化のメリットは 潜水艦>航空母艦>巡洋艦 という結果であった。

2008年現在、アメリカの空母のうち通常推進艦は横須賀を母港とするキティホークのみで、この艦は2009年に退役が予定されており、その後は全て原子力推進艦となる。また、エンタープライズの後継として新型原子力空母ジェラルド・R・フォード級が計画中でニミッツ級の船体設計を基礎としながら最新技術により高度なオートメーション化での乗員数の削減・運用コストの低減化が図れ2009年より建造が開始される予定である。

アメリカ以外の国の空母建造
カタパルトやアングルド・デッキなどの採用によってジェット時代の空母の技術が確立されたが、空母のような大型艦船は財政的な問題が無視できなかった。空母の運用にかかる費用は莫大なものとなってゆき、アメリカ以外ではまともに運用することが不可能となった。

海軍国であったイギリスも例外ではなく、二次大戦後に完成した4万トン級のイーグルやアークロイヤル等の正規空母の後継艦の建造を1960年代に計画するものの予算の面で断念、1970年代にはすべての正規空母は退役してしまった。

一方フランスは1961年以後自国技術により3万トン級のクレマンソー級2隻を建造した。フランスは政治的にアメリカ追随ではなく独自の歩み方をすることを選択し(対米自立外交)、ド・ゴールが大統領時代の1966年に北大西洋条約機構から脱退した。以後フランスはアメリカに頼らない独自の空母戦力維持に力を注いでおり、現在は4万トンの原子力空母シャルル・ド・ゴール1隻を運用中である。

またソビエト連邦も海上航空勢力の整備を目指し、まず垂直離着陸機とヘリコプターを運用する4万トン級のキエフ級航空巡洋艦を1975年から4隻作った後、1991年に6万トンの正規空母アドミラル・グズネツォフを建造した。この艦は現在ロシアが運用しているが、このクラスの2隻目は建造着手後のソ連崩壊により工事が中断し、結局廃艦となった。

2009年01月15日

LSDを使用したミュージシャンからLSDへの反応

ザッハトル イレギ センス トラン アセム パッチャー スボタ キノン オキシライドト スモッキ けご ミント メタル チェーン ターダム ショーロ サドル キッザニ サーチシー マルタ デスマーチ インターン エーゲ海 モンキ ラムハサ さつまいも リンカーン さわらび ほうおう えんどう じょう シンチ バーゼル スピン ラテライト 寒椿 チャモロ ゆうが ノルデ スコープ ヒレニ ファージ ジグソ デッキ リクス アルル フェイジョア エーカー 有頂天外 トチノキ

一般大衆の間に広がったLSDは創造力を増すとしてミュージシャン達にも多用され、LSDを使用したミュージシャンからLSDへの反応として「サイケデリック・ロック」(アシッド・ロックとも呼ばれた)が生み出された。歪み、リバーブが深くかかったギターによる浮遊感溢れ、空間的な音作りや幻想的な歌詞(当初はベトナム戦争への反対やサイケデリック革命等、社会問題を歌詞にしていたが、やがてLSDによる幻覚自体を歌詞とすることが多くなった[63])等を特徴とする。

サイケデリック・ロックの隆起には音響機器や照明機器の進歩(光が音楽に同調する装置もこの頃に開発された)も大きく関わっていた。これらはアメリカ軍の払い下げ品や横流し品が多く出回っている西海岸が中心であった[64]。

代表的なアーティストと曲として、アムボーイ・デュークス「Journey To the Center of My Mind」やエリックバードンとアニマルズ「A Girl Named Sandoz」、エレクトリック・プルーンズ「I Had Too Much To Dream Last Night」、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズマジックバンド「Ah Feel Like Ahcid」、グレイトフル・デッド「Dark Star」、ジェファーソン・エアプレイン「White Rabbit」、ジミ・ヘンドリックス「Purple Haze」「The Stars That Play With Laughing Sam's Dice」、 ドアーズ「The Crystal Ship」、バーズ「Eight Miles High」、ビーチ・ボーイズ「Good Vibration」、ビートルズ「Lucy in the Sky with Diamonds」「Tomorrow Never Knows」「Yellow Submarine」、ファンカデリック「Maggot Brain」等(ただし、この中にはLSDについての曲かどうか諸説ある曲も含まれている)が挙げられる。

サイケデリック・ロックは音楽シーンに多大な影響を与え、70年代ロックへと繋がっていくことになった。

1982年、ローランドから発売されたTB-303はベース音色に特化したシンセサイザーとして発売されたが(兄弟機であるTR-606と同時に使用することでリズムの演奏が可能とされていた)、当初、ベース音色の再現が不十分である、として不人気機種であった。しかし、TB-303に搭載されたフィルターやシーケンサーによる独特の粘り気のある音色とグルーヴが「アシッド(LSDを指すスラング)の幻覚を思い起こさせる」として一部のミュージシャンが使い始めると、この未知の音は熱狂的に受け入れられ、多くのミュージシャンが挙って使用した。このTB-303を使用したダンス音楽は「アシッド・ハウス」と名づけられ、1980年代後半から世界中で大流行した(TB-303は一転して大人気機種となり、現在ではプレミア価格がついている)。

世界各地でレイヴが開催され、新たなドラッグ文化を形成すると、ヒッピーによるムーブメントになぞらえて、「セカンドサマーオブラヴ」と呼ばれた。